嘉治寿彦先生
~迷った時にふっとよぎる自分10年計画 vol.1~
嘉治寿彦先生の、今に至るまでの経緯について詳しく教えていただきました!
初年度は立ち上げでドタバタ
―それでは続いて、嘉治先生の経緯について伺っていきたいと思うのですが、概ね修士・博士課程以降の経緯はどのような感じですか? はい。博士課程の後に、東北大の金属材料研究所っていうところで1年半ポスドクをしました。まあ、金属やってないんですけどね笑。もともと、金属の研究所だったんですけど、いつの間にか英語の名称だけIMR、Institute of Material Resourceになって、物質全般になったんです。なので、金属やってない人たちも沢山いるんですよ笑。
そのあとは分子科学研究所で助教を6年と3か月ですね。その後こちらに来て4年半経ったところです。講義形式の授業をするというのは、農工大に来て初めてですね。
なので、初年度は結構わけの分からないままに、こんなんで良いのかなと思いながら授業を準備してやってました。演習の方は引継ぎをして、もともと宿題を出してそれを授業で発表してもらう形式だったんですね。でもちょっとそれだけだと面白くないなと思って、動画を見せたりっていうのを入れたんです。あと、さすがに、初年度は一応授業を準備してやるといってもやっぱり不安だったので、何人かの先生の授業を一回ずつぐらいですけど、見せてもらいましたね。―そうなんですね!どんなふうに行くんですか?そ、そのままですか?笑 いや、予め見ていいですかって聞いておいて、後ろの席にスッと座って、という感じです。でも、2、3回見ただけですね。ドタバタしていたので、そんなに見れていないですね。量子力学演習を受け持ちだしてから、畠山先生の授業を見ているほどは見てないです。
それで、ほかの先生の授業を見て、昔ながらの黒板の授業だな、と思って、あのプロジェクターとか使ったりしないんですか?って聞いたら、プロジェクター使うと学生が寝るんだよね、って言われて。逆に板書を使わない先生に、その対策はどうしてるんですか?って聞いてみたら、穴あきのプリントを配っている先生とか、あるいはプロジェクターで表示してるスライドに、穴あけて時々クイズ出してる先生とか。皆さんいろいろ工夫されている、というのは分かりました。やっぱり不安だったので色々聞いて回りました。
結局今のところ板書でやってるのはやってるんですけど、純粋にそれだけじゃまずいな、と思って動画やディスカッションを加えてますね。
いろんな国にこそ、仕事に行きたかった!
―研究者になろうと思ったのはいつ頃ですか? 研究者になろう…僕は、研究者になろうって思った理由はちょっと動機が不純かもしれないです笑。
―聞きたいです! 僕、母方のおじいちゃんが医者で、だから小さい頃はずっと医者になれって言われていたんですね。で、「そっか医者になるか」って思ってたんですけど、中3か高1ぐらいの時に兄が医学部に入ったんで、じゃあ僕医者じゃなくていいな、と思ったんです。じゃあ何になろうかな、と考えた時に、人のためになって、外国に遊びに行け…遊びじゃない、仕事に行けるような笑。口が滑った笑。
―いやいや笑。 えっと、人のためになって、いろんなところに行ける仕事がいいなと思ったんですよ。で、なぜか僕の中で思い浮かんだのが、研究者か外交官だったんです笑。
―そうなんですね!いろんな国に行ってみたい気持ちはとっても分かります笑。 ええ笑。で、とりあえず高校の文系と理系の選択では一応理系を選択にしたんで、そういう意味では理系の研究者かなと思ってたんですけど。そのまま、大学は理系の学部に入りました。
ただ、国語とか文系の科目も苦手ってわけではなかったんで、理系でも文系でもどちらでもよいともずっと思っていて、同じような考えの友人の中では、実際、大学入試や入学後に、理系から文系に移ったり、その逆の人もいました。
―そうなんですね。個人的には文系・理系の区分って勝手だなーと思ってます。 それは同意しますね。海外の人と話すとよく分かって、大学院生の時に個人的に英会話を習っていた時があって、講師の人に言われたのが、あなたはロジカルな方かエモーショナルな方かって言われたんです。僕はその区分の方がよく分かったんです。―なるほど!そうですよね、文系もめっちゃロジカルというか…。 そうなんですよ。僕らよりロジカルです。―や、理系としてもロジカルではありたいです笑。でも、超ロジカルな人いますよね! 文系のすごい人たちは、超ロジカルで超引用主義なので、会話していても一言一言に、その考え方は何年にだれだれが考え出したあれだね、とか笑。―依拠が出てくるんですよね笑。 そうなんですよね笑。だから、日本の世の中が文系・理系ってあの区切りが良くないな、とは正直個人的には思います。すごい同意します。―私は農工大受けつつも、私立の文系学科を受験したりもしていたので、気持ちすごく分かります。
逆算して…想定通りも想定外もあった
それで、大学に入ってから、じゃあ将来何やりたいかな、と思った時に太陽電池の研究をしたいなと思ったんですよ。さらに、太陽電池の中でも、その時あんまりメジャーじゃない太陽電池やりたいなと思ったんです。
そこで、色々調べてみたら有機分子を使った太陽電池っていうのがあるんだけど、まだ性能が低いと。そこまで読んだ後に思ったことが、自分がバリバリ研究するとしたら何年後だろうかと思った時に、まあ卒研とかで研究はできるけれど、研究者という職業で研究すると考えると、まあ10年後ぐらいかな、と。
で、今メジャーじゃないということは10年経ってもまだまだ研究することがあるだろうと笑。逆にもう既に、完成されている単結晶のシリコンの太陽電池とかやるよりいいんじゃないか、とかいう、それも微妙に不純な動機も混じってるかもしれないですけど笑。
―いやいや笑!不純とは言わないですよ。 不純とは言わないですけど、打算ですかね。
―打算は大事ですね。 そうですね笑。まあ大体そこは予測通りでしたね笑。―わ、ほんとですか笑。うまく軌道に乗ってきましたか?
笑。ただまあ、予想通りでないほうにいくこともあるんですよね。今、太陽電池の業界だとペロブスカイト太陽電池っていうのが凄く流行っているんですね。それは、10年ぐらい前に、桐蔭横浜大学の宮坂力先生の研究室で、初めて作られた太陽電池なんですけど。それが今すごく盛んに研究開発されていて、うちの研究室でも少しやってるんですけど、そういう新しい種類の太陽電池は予想出来ていなかったですね笑。
―追随が…笑。 そう。有機薄膜太陽電池っていうのが、さっきの有機分子使ってやる太陽電池なんですけど、そっちの方は大体、大学生の頃の自分が予想した通りぐらいの発展をしてますね。でも、そこにどれだけ役立っていられるかって言うと、もうちょっと役立ちたいな、と思ってるんですけど笑。
―いやいや! ペロブスカイト太陽電池の方にも、もちろん役立ちたいし、自分の研究室からも新しい太陽電池を生み出せたらいいなあ、とは思うんですけど、そこはまたなかなか難しいんですけどね笑。でも、意外と大学生の時の自分の読みは合ってましたね。調べてみて、本を読んで、じゃあこういう勉強をしていった方がいいな、と思って自分で勉強する内容を変えてきたって感じですね。
所属は変わっても、有機薄膜太陽電池に繋がる道
実は所属している学科や分野も、徐々に変わっています。たとえば、僕が教員として今年度から所属している新学科の化学物理工学科は、入学後に化学コースと物理コースを選べるようになっています。そして、どちらのコースからでも、学科内のどの研究室にも行ける仕組みです。
それと似ていて、僕が当時、学生として所属していた東大の教養学部は、もっと選択肢は多いですけど、入学後に学科を選ぶ仕組みでした。
それで、もともと物理も大好きで、太陽電池をつくりたいと思った状態から、じゃあ何を勉強しようかと思ったときに、有機分子を使う太陽電池の研究をするんだったら、やっぱり有機分子の勉強した方がいいなと思って、学科としては化学の方に進んだんです。化学系の学科に進んでから、また他に必要な物理だったり電気だったりの勉強は順次していけばいいな、と思って。それは自分でまた勉強するということで。それが2年か3年生の頃です。
3年生からそういった考えで化学科に進んで、授業でも学生実験をしたりしていたんですけど、そのうちフラスコをかき混ぜてたりするのに、飽きてきたんです笑。
―あははは笑。 で、研究室を選ぶ時に色々見ていたら、ちょうど分子を並べて膜をつくるっていう研究室があったので、それは分子で太陽電池をつくるのに必要だからやろうと思って、その研究室に行ったんですね。それで面白いのは、その研究室は化学の学科だったんですけど、先生はもともと物理工学の先生なんですよ。
で、そこで分子を並べて膜つくる研究をしました。修士から博士課程の時に先生が退官されるので研究室を移ったんですけど、移った先の先生もまた物理工学出身の先生でした。そっちでは、有機薄膜でトランジスタをつくる研究をしまして、少し、太陽電池に近づいていきましたね笑。
―徐々に笑。 それで、博士課程で学位を取って、東北大の金属材料研究所に行ってトランジスタの研究をしました。今度は有機分子の結晶を使ったトランジスタですね、さっきまで膜だったんですけど。それで1年位ポスドクをしていたら、ちょうど有機薄膜の太陽電池をやっている研究室で、助教を公募してたんですよ。それで、応募したら運よく受かったっていう。さらに、それがちょうど、さっきの大学2年生の時の10年後なんですよ。
―わ(゜゜)!そうなんですね、ばっちりミートしてますね! ばっちり笑。もちろんそんな風になると思ってなかったですけど、結局振り返ると思った通りだったなって笑。ピンポイントでそうなるとは思ってなかったですけど、やっぱりそれぞれ迷いましたよ。この段階で就職するか進学するか、こっちの企業に行くか、ポスドク行くか、とか迷って、この時も公募自体は非常に多かったのでどこに出すか、とても迷ってはいたんです。都度都度、色々と迷って、でも「ああ、あの時僕はああ思ったからなあ」と思って、選んだ選択肢がちょうど10年後、ハマりはしたなっていう笑。
それで6年位経った時に農工大の公募があって、まあそれも運よく受かったので、太陽電池の研究続けてますって感じですね。
―そうなんですね。計画を10年先まで立てて、順次それを追っていくっていうのは、すごいです。ちなみに、これからの10年後ってどんな予想されてるんですか? それがね…難しいんですよ。ちょっとね、今、もう少し進めるとどういう結果が出るかな?と思っているテーマがいくつかあって、その様子を見つつ、今一生懸命考えてるところです笑。やっぱり、ちゃんと話を聞いてる人ってのは凄いなって思いました。ピンポイントに痛いとこ突くなって笑。
―いやいやいや!笑。 笑。いや、ほんと最近それ考えないとまずいなって、ずっと思ってたことだったんですよ。そろそろそれを考える時期だなと思っています笑。
嘉治先生が10年計画を立てた学生時代のお話から、ちょこっと人生相談まで、更に詳しく教えていただきました。
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