• このサイトについて
  • 先生大図鑑
  • 高校生からの質問におこたえします
  • アーカイブ
旧先生大図鑑

千葉一裕先生

~「自分の仕事」で自由を勝ち取る~

2020.06.10

千葉一裕先生の、今に至るまでの経緯を詳しく教えていただきました!


千葉一裕(ちば・かずひろ)先生
応用生物科学科(2019年度まで)・東京農工大学学長(2020年度より)

プロの世界にぶったまげた

 そろそろ私の経緯について話していっていい?
―はい笑。お聞きしていきたいです! 私は農工大に入学して、グリークラブに所属していたのだけど、当時はメンバーもとても多いサークルだった。あるとき、他の3大学と合同で大きなコンサートをやろうということになった。だけど、学生達の間ではうまくまとまり始めていたにもかかわらず、指揮者をお願いしていたある大学の先生には、「君たちが選んだあの曲をメインステージで歌うことは、受け入れられない」と言われてしまった。「いかにも若い君たちが好きそうな曲だけど、あれはどうも音楽的な深みがない」って(笑)。「我々の大学の合唱団は体育会系、日本でもトップレベルだから、そんな曲の練習は時間の無駄なんだ」って言われた。
 その時は何でそんなことを言われるのかよく分からなかった。でもどうにかしないといけないから、その先生をお誘いし各大学の学生数名が新宿の喫茶店に集まり、徹夜でその先生を説得するために交渉したんだ。今振り返ってみると、なんで自分がその交渉の場に行ったのかわからないけど。それで、結局はその大学だけで1ステージ別にもたせるから、それと引き換えに自分達が希望した曲をメインで一緒に歌うってことで合意してもらった。

 それで、コンサート当日。その大学が前座で行った単独ステージの合唱を聞いて、驚いた!高度で、レベルが違った、これがプロの世界か…って大きな衝撃を受けた。それから、「本物ってやはり凄い、自分自身は音楽ではとても無理だけど、いつか何かでプロになりたい」って強く思った。

 これが19歳の春頃の話です。

今につながる旅行計画マニア

 そのグリークラブでは「外政」と呼んでいた渉外の担当だった。旅行の手配をして、100人くらいを長野の合宿に年2回連れて行くということもしていた。それで、研究室にいた時には同じ専攻のM1、M2と先生方50人くらいかな?でスキー旅行の幹事をやって、そこの正門の欅のところから、蔵王までバスで行ったんだよ。

農工大正門から本館に続く欅並木

―それは、すごいですね。相当仲良かったんですか。 当時はそういうつながりがあった。旅行の計画立ててみんなを連れて行くってことが全く苦痛じゃなかったし、めんどくさくなかった。旅行の企画が大好きーマニアだね笑。
―かなりレアなマニアですね笑。 最近ではリーディングプログラム*を通じて、海外の大学に何度も行っていて、学生も連れて行ったり、後から合流したりが多かったね。自分も学生も現地の人と交流をして、それがどんどん増えて繋がりも増えていく。海外に道をひらく、そして自由になっていく!そういうことの兆しになっていると思う。

 それで、話しは戻りますが、4年生になって研究室に入ったとき、この分野(有機化学)でプロを目指したいっていう意識が少しだけ芽生えた。修士の研究では、新化合物を見つけて自分で名前もつけることができた。修士までやって、本当は博士課程に行きたかったけど、当時は残念ながら農工大に博士課程はなかった。 それで、みんなも知っていると思うけど、この民間企業に行った。

パワーポイントの図形で作成

相手の持っている常識の中で研究を説明する

 そこで、非常に鍛えられた!説得力のある文章を作文する力がついた。研究所長が素晴らしい人で、「お前らはもっと頭を使わなければダメだ」って月に1回くらいミーティングを開いてくれた。周りの人も、文書の書き方を教えてくれるわけではなかったけれど、文書を提出すると「この文章ではダメ」って突き返されたりして、どうやったらいい文章を書けるのか考えて、そのうちそういうことを考えるのが好きになった。

 あと、化学の世界では必須のNMR**という装置があって、これについては修士時代にものすごく自分で勉強した。残念ながら、その装置が入社した会社には無くて、買うとすれば研究所の年間予算の1/3ぐらい使ってしまうようなものだった。入社後間もない社員が「欲しいです」って言って簡単に買ってくれるようなものじゃなかった。でも、どうしても欲しかった。

 そのころ、所長が役員に「研究所にはいっぱい研究費を出している割にヒット商品を出さないではないか」と言われて困っているという話しを聞いたのです。それで、所長が「何か弾はないか」って研究所の社員に聞いたわけです。それで、あまり根拠はないんだけど「私にやらせてください!ただし、この装置を買ってください。」って言ってしまいました。それが28歳くらいの時。
 それで、所長から「時間は無制限でいいから」って言われて役員会でプレゼンできるチャンスが巡ってきた。社長の前で、役員も両サイドに沢山並んで、前にポツンと私がいてね。まずはNMRを説明して理解してもらって「よし、買ってやろう」と思ってもらう必要があった。NMRはちゃんと原理を説明すると本来授業2回分くらい必要だけど、その複雑な話を1〜2分しか聞いてくれないような人に、彼らの常識の中で理解されるよう、どうにか説明しないといけない。これは難しかった。
 それでね、分子の模型はクルクル動くじゃない、これをね、魚の串焼きに例えた(図解で説明)。魚に串を一本刺して焼こうとするとクルクル回ってしまいますけど、串を二本刺すと、回らないですよね。要するに、二重結合はそういうことを意味しています。こういうものの違いを見ることができるのです、って言った。「確かに!串二本なら回らない!」っていうわけですよ。分子の本来の理解とだいぶ違うんだけど笑。
―笑。

魚の串焼きのイメージ

 でも社長は説明を聞いて、「なるほど分かった!買おう!」って言ってくれて、理解してもらえた。それで、NMR(核磁気共鳴)っていう分析装置を買っていただけちゃったんですよ。
―すごいですね! でもそこで、身についたのは、NMRを手にしたことよりも、むしろ説得力のあるプレゼンテーションをすることがいかに重要だってことで、当時はそんなこと世の中で言われていなかった。修士課程の時に、真剣にそれを学んだからこそ、これがあれば絶対役に立てる自信があった。それで、どうしても欲しかった。今思えばその必死さこそが、プレゼン能力が鍛えられるチャンスだった。
―「自分の武器がこれだ」というのがあって、使いこなせるという裏打ちがあることも必要ですね。それと、相手と自分の共通言語で話すこと、難しそうですが大事なんですね。 それで、NMRを手に入れてからはもう、バリバリ仕事ができた。他にも、異物混入があった時、まずは自分たちの会社が疑われたのだけど、相手方の責任のものが混入していたということを証明できた時は、凄いねって褒められてね。ただ、20代で仕事できて、やたら褒められると大抵その後うまくいかないよね笑。調子に乗っちゃって、…。

 それで、30歳になってみると、もう会社には7年いて、あと30年会社勤めするより…もっとサイエンスをやりたいって思うようになってしまった。学生と一緒にアツいものをやりたいと思って研究室に入った。入ったら、いやー大変。人まねならできる、教授の仕事の手伝いならできる。けれども、自分の仕事というのを見つけることが難しい。
―自分の仕事、というのは自分の領域という感じですか。 そう。当時、すでに結婚もして子供もいたから、この先どうしようとか将来の大きな不安があって、子供の運動会に行って、グラウンドの砂に化学式書いていたら妻に怒られたとか覚えているね笑。
―奥さんとしてはお子さんを見ていて欲しいのですよね笑。 そうそう、子供と餅つきしながら頭の中では化学構造式を考えていたりとか、そんなことを覚えている笑。

 でも、ある時、ユーカリに含まれるマラリアを抑制する物質の合成方法について、電気を流してパッと作れたのだけど、それを学会発表したら、化学合成の世界のリーダーである森先生***に「これは千葉君自身が考えた仕事だね」って言われた。他にも、大物の先生があちこちから、自分に向かって声をかけてくれて、名前を聞かれたりして、すごく嬉しかった!!

 自分の仕事ができると、こんなに世界が広がるのかって、その時の感動が、人生で一番大きかったかもしれない。僕はこれをね、一番、授業を通して学生に経験してもらいたいのかもしれない。学生に自由を勝ち取ってほしい。そのチャンスを作ることができるのは何よりも授業、そしてディスカッションだと思う。研究室でも先生とでも。これが、真剣に、パワーを注いで授業を作る根源だね。
―授業と研究は切っても切り離せないという感じですかね。 その通りだと思うよ。授業は一番大事!

―授業は一番大事!と言い切ってもらえると大学に来てよかったな、と学生は思います( ;―;)。



 千葉先生の授業は、台本なしのその場に応じた即興に近い形で展開され、膨大な知識の中から、学生の反応を見ながら取り出して組み立て、学生を飽きさせずに概念・コンセプトの理解を促すという非常に高度な形だと思いました。二重結合を魚焼きの串二本なら回転しないという斬新な例えや、巧みなスライドの展開など、考え抜かれた発想に驚きの連続でした。容易くは真似できない千葉先生ならではの授業です✨

「先生大図鑑」#13 はいかがでしたでしょうか?
最後まで読んでいただきありがとうございます。次回もお楽しみに!

※千葉一裕先生は、2020年4月より東京農工大学学長に就任されるため、担当されていた授業は他の先生が受け持つことになります。


* リーディングプログラム…「食料生産の大部分を石油エネルギーに依存する世界的危機」から脱却し、非石油依存型食料生産の時代を創出する人材を養成することを目的として設置されたリーディング大学院に関連する取り組み。(http://web.tuat.ac.jp/~leading/top.html

** NMR…Nuclear Magnetic Resonance(核磁気共鳴)の略で、NMR装置とは、原子核を磁場の中に入れて核スピンの共鳴現象を観測することで、物質の分子構造を原子レベルで解析するための装置。

*** 森謙治…日本の化学者、農学博士。専攻は有機合成化学、生物活性物質化学。ジベレリンの化学合成に世界に先駆けて成功。昆虫フェロモンを始めとするさまざまな生物活性物質を合成し、その立体構造と働きとの関係をあきらかにした。