浅野竜太郎先生
〜医療に役立つ抗体をデザインする〜
第43回は生命工学科の浅野竜太郎先生にインタビューしました。
浅野先生の研究の楽しさや苦しみのエピソードは、現在研究に取り組んでいる人にも、将来研究室に入る人にとっても、共感すること、参考になること間違いなしです。研究ってなんだ?と思う人も、イメージが少し湧いてくるかもしれません。浅野先生の研究人生を、ぜひ最後までご覧ください!
<プロフィール>
お名前:浅野竜太郎(あさの りゅうたろう)先生
所属学科:生命工学科
研究分野:池袋・津川・浅野研究室
趣味:旅行、釣り、スポーツ観戦、映画鑑賞
―ここの研究室ではどのような研究をしているのでしょうか?
ここの研究室の面白いところは指導教員が3人いることで、みんな主たる研究対象である生体高分子が違うんです。(生体高分子とは…人間の体など、生体を構成している高分子のこと。)具体的には核酸と酵素と抗体です。これらは、他の分子を認識して見分ける能力を持っているのですが、そのような生体高分子はこの3つ以外にないんです。その3つを組み合わせたりしながら、治療やセンシングができないかということを研究しています。
ちなみに、私の専門は抗体です。
―抗体について簡単に教えていただけますか?
まず免疫についてなのですが、免疫とは自分以外のものは全部排除する機構のことです。何か変なものが体の中に入ってくると排除するということです。逆に自分にもともとあったものは受け入れるんですが、この免疫という現象において大きな役割を担っているのが抗体分子です。抗体分子が入ってきたものを排除しようとするのです。
―なるほど、先生はどのような経緯で抗体について研究するようになったのでしょうか?
小さい頃から、生物化学に興味があったというのはありますね。父が製薬企業の研究者で、昆虫を研究対象としていたんです。僕も虫が好きだったし、土日には会社に行く父に、小さいながらについて行って手伝ったりしていました。そこから、もしも研究するなら生物系かなと思っていましたね。
―小さい頃から。
そうですね。だけど、いざ高校に入って進路を考えたときは悩みました。なるべくチャンスを多くしようと、推薦入試から出願して行こうと思ったんです。そしたら、最初に志望していたところを他の人に譲ることになって。
―ええ(゜゜)!
大学ごとに高校から出せる推薦の枠には限りがあるんですよね。あなたはもうひとつ上を狙って、その枠は他の学生に譲ってほしいと言われたんです。でも全国で、そこより上の国公立で推薦があるところって限られていて。探した結果、東北大の工学部に推薦入試があったんです。でも僕は生物系を進路として考えていたので、工学部は違うかなと思いながら一応資料を取り寄せました。その資料を見てみると、工学の中にバイオ工学っていう分野があるのを知って。しょうがない、工学の方に寄せてみるかと。
―おお、工学のなかに生物系の分野が。それが今の生命工学に繋がっているのですね。
2つの研究室を行き来した大学生時代🏃♂️
元々配属されたのは主に大腸菌を生産宿主として扱っている研究室でしたが、僕はここでがん治療抗体に関する研究をしていました。医学部の先生とのコラボで、細々と行われていた研究でした。
―コラボですか
工学部には、がん細胞を扱うための設備(細胞培養スペースやがん細胞評価のシステムなど)はなかったんです。なので、工学部ががん治療抗体の開発を行い、最終的な評価は医学部の研究室が行っていました。
つまり、一生懸命がん治療抗体の開発を進めて、やっと出来上がったものを、最終的に評価するのは医学部の方だったので、ある意味一番いいところが自分でハンドリングできないわけです。
―最後だけ自分でできなかったんですね。
そうです。このがん治療抗体に関する研究をしているのが、僕ともう1人大学院2年生の先輩だけだったのですが、この先輩がすごく歯痒い思いをしていたんです。いつも結果はダメでしたと伝えられるばかりで、一生懸命やって完成させたものが正しく評価かされているかどうか疑わしいこともありました。
そんな状況から、先輩が僕に言ってきたんです。自分はあと少しで卒業だけど、君はこの状況を変えられる時間がある。だから変えなきゃいけない。自分で最後まで評価できるようになれって。
―かっこいいですね!
何を言ってるんだろう、この先輩はって(笑)
―(笑)
たまたま先輩とそんな話をしているところに、通りかかった中ボスも話を聞いて賛成して。最後の評価まで自分でやりたいですと、大ボスに直訴してきたらいいと言われました。
次の日の朝一で教授室に行って話をしましたね。大ボスも最初は驚いたけど、でも君がやりたいと言うなら医学部側のボスに話を通すからと言ってくれて。教授と一緒に車でまずお菓子を買って、手土産を持って、向こうの研究室にいきました。うちの学生が評価までやりたいから出入りしてもいいですかと一緒にお願いをしました。そうして、がん細胞を用いた評価法まで学ぶことになりました。
―より医学的な研究の知識や技術を身につけることになったんですね。
そうですね。
間違いを認め、変わる勇気
―そのような研究をしているなかで、大変なことはありましたか?
大変というか、ターニングポイントとなったことがいくつかありますね。例えば、間違いに気づいたときに、それを認めて自分のやり方を変えないといけないと。
―間違いを認めて、変える、ですか。
はい、具体的には、タンパク質を安定化させるある試薬があって、これを調製時に用いることを途中でやめるということがありました。
この試薬を用いると確かにタンパク質の調製がうまくいくんです。でも、だんだん実験をしていて違和感を感じるようになったんです。いつも、データが綺麗すぎるなと
―綺麗すぎる?
この試薬の濃度に綺麗に比例してがん細胞が死ぬんです。なんでだろうと思って。
もしこのタンパク質を安定化させる試薬が、がん細胞に直接影響を与えていたら、本来調べたいタンパク質のがん細胞への効果が分かりませんよね。もちろん、事前にがん細胞への影響は調べられていて、問題がないことになっていたんです。
でも、どうしてもおかしいと思って自分で調べ直したら、この試薬だけでがん細胞を殺していたんです。
―なんと…!
だからこの試薬を使っていた半年から1年位のデータを全部捨てて、ボスにもちゃんとそのことを伝えました。
―半年から1年分の実験が水の泡ということですか…
そうですね。そしてこの試薬を使わなくなったことで、全然実験がうまく行かなくなってしまったんです。結果が出ないことで、なんでこんなにうまく行かないのか、大腸菌を用いた調製をやめたらどうかとか、抗体の種類を変えなさいとか、いろいろ指導されました。
―辛い…
でもそこで思いきって、抗体の種類を変えて、大腸菌から動物細胞を用いた調製に切り替えたりとか、いろんなことを変えて試してみたんです。そして、抗体を変えたときに、思いがけずすごくいい結果がでたんですよね。そういう研究の黎明期(れいめいき)の中で、抗体を変えたときにパッと光が見えたことが、今に繋がっています。
何かに一生懸命取り組んでいて、でもなかなか上手くいかない。そんな大変な時期をどう過ごすか? ピンときた方は、浅野先生のこちらの記事もぜひ合わせてご覧ください。
おまけ〜研究室を彩るグッズ〜
浅野先生の「先生大図鑑」はここまで!
最後まで読んでいただきありがとうございます!
浅野先生の授業についても紹介しています。抗体から新しい医療品を生み出すってどういうこと?ぜひ「免疫学・抗体工学」〜”新しいバイオ医薬品をどう生み出すか?”を考える授業〜も合わせてどうぞ!
文章:ノコノコ
インタビュー日:2020年11月19日
※インタビューは感染症に配慮して行なっております。
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